主の再臨を待ち望む信仰
3 この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて
告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない。4 見よ。心のまっすぐでない
者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
(ハバクク2:3~4)
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰
に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と
書いてあるとおりです。 (ローマ1:17)
ここで「義人」はどんな信仰で生きていく人でしょうか?
終りの日にある主の再臨を待ちわびて、その日に備えながら
生きていく人です。即ち、再臨信仰で生きていく人です。
私たちはみなキリストの再臨を待ちわびなければなりません。
そうする時、私たちは義人になるのです。なぜなら、義人は
主の再臨を待ち望む信仰で生きていくからです。
果たして再臨を待たずに義人になることができるでしょうか!?!
私たちがこの世で希望を見い出すことができるでしょうか?
今こそ主の再臨を慕い、主に会う備えをする時です。
全世界で起きている災いの前兆を見ながら心を再臨なさる
イエス様に合わせなければなりません。
そうするためにヨハネの黙示録の終りの・永遠の・いのちの
みことばを自分で取って食べなければなりません。
これから近い将来に大艱難の時が来ますが、クリスチャンは
背教者になるか、或は殉教者になるか、どちらかになります。
私たちは終りの福音、永遠の福音で武装して主の再臨を
待ち続けなければなりません。義人はその信仰によって生きる
のです。その道だけがいのちの道です。
“主イエスよ、来たりませ!”