岩を打った二つの事件の奥義 へブル6:4~6
4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
5 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。
彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
旧約にはモーセが岩を打って水が流れ出た二回の事件があります。これを証明してくれる
みことばがへブル6:6節です。
聖霊の満たしと霊の世界を体験をした人も後でキリストを自分でもう一度ムチ打って十字架に
かけて、恥辱を与えるような酷い堕落を見せると、もう一度赦される機会がないということです。
これがモーセが岩を打ったことの奥義です。岩はキリストを象徴します(Ⅰコリント10:4)。
民たちに水を与えた岩はイエス・キリストの体です。
新約に来て岩の実物であるイエス様の脇腹が槍に刺されたとき、何が流れ出ましたか?
水が噴き出されたのです。それを象徴的に見せてくれる出来事が岩から水が流れ出た事件
でした。二回目は岩に話をかけなさいと神は言われたが、またも打ってしまいました(民20:24)。
このことでモーセはカナンに入れなかったのです。二回目は岩に話をかけなさいと言われた
意味は復活を象徴するからです。イエス様が死んだラザロを生き返らせる時も“出て来なさい”
と言われて生き返ったことと同じく、二回目の時は岩に話をかけるべきだったのです。
それ故にカナンに入れなかったのです。